並木橋駅跡

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並木橋上高架撤去後 東急東横線の高架線路の解体も進み、並木橋上の部分がすでになくなっています。車が往来する部分は「新並木橋」。並木橋はその奥にあり、歩道となっています。

 並木橋には昔「並木橋駅」という駅がありました。東横線が開通した昭和2(1927)年8月28日がと同時にできた高架の駅。本学をはじめ通学利用者が多数いたそうです。この3月の東横線渋谷駅の地下化に伴い話題となっていましたので、ご存じの方も多いと思います。

並木橋駅跡付近にある木の電柱 現在、通学路として推奨している明治通りの逆側をご覧ください。このように木製の焦げた電柱があります。こちらは同駅が昭和20(1945)年5月24日・25日の空襲で全焼したときの名残と言われています。被災を受けた同駅は営業休止、翌年5月31日に正式に廃止となりました。

並木橋駅のりば案内跡 その木の電柱を右手に高架下を見ると、先日下記「シブヤ経済新聞」でも紹介されていました、こちらのホームへ上る階段入り口付近を表示する文字。「の 櫻 横 多摩 二子」と読める文字は、「のりば 櫻木町方面 横濱  多摩川園前 二子玉川」と縦書きで書かれていた跡のようです(縦書きなので、右から左へ読みます)。
 青い枠で囲われているのは、わかりやすいように画像を加工したわけではなく、案内表示そのものに青い縁取りがされています。

昭和12年当時の沿線案内(提供:東急電鉄)_web 現在の二子玉川駅の駅名の変遷は下記東急電鉄の各路線概要に掲載されています。昭和19(1944)年10月20日~昭和29(1954)年7月31日までは「二子玉川」という駅名であったころから、休止となった当時ののりば案内もそのように書かれていたと思われます。
 調査にあたり、東急電鉄からこちらの昭和12年当時の沿線案内の画像をご提供いただきました。國學院大學も掲載されています。

 渋谷から代官山の高架線路は徐々に解体が進み、日々見える景色が変化しています。登下校時、渋谷川とともに変わりゆく渋谷を目に焼き付けておいてはいかがでしょうか。

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