2013年09月03日(火)の記事一覧

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安宅の関@石川県小松市

 石川県の空の玄関口・小松空港。空港から車で5分ほどの海のそばに、能「安宅」や歌舞伎「勧進帳」の舞台となった安宅の関跡があります。歌舞伎の勧進帳は、奥州に落ち延びる山伏姿の源義経主従が、関守冨樫に疑われると、東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧と称し、何もか書かれていない勧進帳(寄付帳)を読み上げるなど弁慶の起点によって難を逃れたというストーリー。歌舞伎十八番の一つとしても知られています。

 そのお芝居の舞台である、安宅の関跡には、勧進帳を読み上げる弁慶と、傘を深く被った義経、そして関守・富樫の銅像が立っています。

 

 また、同地に鎮座する安宅住吉神社は、1200年を超え守り伝えられている神社ですが、勧進帳の逸話から「難関突破」のご利益があるとして全国から参拝者が絶えないということです。境内には、「難関突破」と書かれた絵馬に、受験合格や安産祈願など様々な願い事が書かれていました。

折口信夫・春洋父子ゆかりの石川県羽咋市

 石川県羽咋市は、能登半島の付け根にある町。本学元教授で民俗学者の折口信夫の養子となった春洋(本学元教授)の故郷です。市内には、折口春洋(旧姓・藤井)の生家「藤井家(写真)」をはじめ、2人の面影を今に伝えるものが存在しています。

折口父子の歌碑

 能登の国一ノ宮・気多大社は、折口春洋の生家・藤井家からほど近い場所に鎮座しています。鳥居をくぐってすぐのところに、折口父子の歌碑が建てられています。

 右の石に折口信夫の歌が、左に折口春洋の歌が刻まれています。

折口信夫

気多のむら 若葉くろずむ 時に来て  遠海原の 音を聴きをり

折口春洋

春畠に 菜の葉荒びし ほど過ぎて おもかげに師を さびしまむとす

折口信夫句碑

 気多大社の本殿の奥に広がる社叢「いらずの森」。その周りを歩いて行くと、池のほとりにひっそりと折口信夫句碑がたたずんでいます。

くわっこうの なく村すぎて 山の池

折口信夫・春洋父子の墓

 折口信夫が、太平洋戦争中に硫黄島で戦死した折口春洋を嘆き、自ら墓碑を選定、昭和24年に寺家町内の藤井家の墓地に建てたものです。

墓石には次のように刻まれています。

「もっとも苦しき たたかひに 最くるしみ 死にたる
   むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその 父 信夫の墓」

 父子の墓から少し離れた場所には、折口信夫の弟子の岡野裕彦名誉教授の歌碑も建てられています。

羽咋市歴史民俗資料館

 羽咋の歴史を、貴重な資料によって紹介している羽咋市歴史民俗博物館では、現在、折口信夫没後六十年記念・市制施行五十五周年記念展「羽咋に眠るまれびと折口信夫」を今月16日(月・祝)まで開催中です。

 一部本学が所蔵する資料を含めて、折口信夫・春洋父子にまつわる貴重な資料が展示されています。開館時間は、9:30~17:00(入館は16:30まで) 会期中無休です。

折口信夫年祭と墓参の旅―石川県羽咋市を訪ねて―(最終日)

 2泊3日の「折口信夫年祭と墓参の旅」は今日が最終日です。

折口信夫60年祭

 今日は、午前10時から気多大社に近い羽咋市寺家町の藤井家で「折口信夫60年祭」が執り行われました。昨夜の前夜祭に続き、斎主を岡野弘彦本学名誉教授が務められました。
 遺族をはじめ、オープンカレッジ受講生、地元の関係者などが参列した年祭では、岡野名誉教授が祭詞を読み上げ、折口信夫・春洋父子の御霊に語りかけました。

 その後、寺家町内にある折口信夫父子の墓を参拝。岡野名誉教授が、折口信夫が作詩した「傷つけず」を朗読しました。
 今日の羽咋市内は、前日までに続き、不安定な天気が続いていましたが、年祭そして墓参の時には雲の合間から青空がのぞいていました。

折口信夫没後60年記念講演会

 午後1時からは、コスモアイル羽咋を会場に記念講演会(羽咋市・羽咋市教育委員会・折口父子記念会主催)が開かれました。講師を務めた岡野名誉教授は、約1時間半にわたって「折口信夫の話(四)」と題して講演を行いました。岡野名誉教授のご実家の神社のご祭神にまつわる話を、古事記の一節や学生時代の折口信夫の逸話を交えて語り、「折口信夫は心の真実を追求することに若いころから情熱を燃やしていた」と講演を締めくくりました。

 一時は晴れ間が顔をのぞかせていた羽咋市内でしたが、講演会が終了するころには、滝のような雨が降り始めていました。折口信夫先生が亡くなられて60年の節目の日。後輩たちへの叱咤激励の雨なのかもしれません。

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